01

無尽の時代

源流は、遥か100年の彼方に、
しかしその思いは変わることなく。

「無尽」の営業会社、「日本貯蓄興業株式会社」(後に名古屋無尽株式会社と改名)として設立された明治43年から、第二次世界大戦を挟んで、昭和26年の相互銀行転換まで、およそ43年間。当行の歩んだ道があります。

創業期には、乱立する無尽業者が経営にいきづまり掛金者に損害を与えたり、倒産したりするケースが続出しました。この中で、「名古屋無尽」は当時無尽が盛んであった東京、大阪のいずれのやり方とも異なる独自の方法を考案するなど、その先見性と、さまざまな工夫と努力が身を結び、無尽業法施行後、名古屋市で唯一、無尽会社の認可を得ることができました。

その後、昭和に入ると、次第に悪化する時局の中で、大蔵省の意向に沿っての合同勧奨が相次ぎ、終戦間近の昭和19年にはついに一県一社主義の号令のもと、「愛知合同無尽」となったのです。
第二次世界大戦では、当行はもちろん、中部圏もわが国も、もはや再起不能と思われるほどの壊滅的な打撃を受けました。
戦中戦後の混乱期を経て、当行が生き残ることができたのは、一つには地域と中小企業者と一般庶民のための無尽の灯を決して消してはならないとの先輩諸氏とお客さまの思いでした。

愛知合同無尽においては、昭和20年10月に無尽会社に認められた預金業務を取扱開始するとともに、給与を新円で行う新生無尽の取扱いを開始しました。戦時中に大量に引き受けてきた国債などの有価証券の資産凍結は、経営に重大な影響を与え事業運営を大きく圧迫しました。このような問題をいち早く解決するため、独自の再建案を模索。昭和23年2月には、「中央無尽」として新たなスタートを切りました。中小企業への支援を柱としつつ、戦後の混乱期を乗り越え、一貫して堅実経営を貫くことができる経営体制の構築をめざしました。

明治、大正、昭和と時代はめまぐるしく変わりましたが、庶民金融と相互扶助の精神は、決して変わることはありませんでした。

空襲による被災

提供:中日新聞

昭和20年3月11日未明、B29 約130機が来襲。この名古屋大空襲により、名古屋市を中心に甚大な被害をもたらしました。この空襲では、熱田出張所のほか、鉄筋コンクリート造の本店も焼失、一挙に名古屋の拠点を失ってしまいました。後に空襲による被害は、郊外へも広がり、豊橋、岡崎、一宮支店が被災することになりました。しかし、当時の職員は、最重要な貸出書類や現金は手さげ金庫に入れて持ち出し避難したため、業務に支障をきたすことはありませんでした。

02

中央相互銀行の時代

無尽の精神を引き継ぎ、
堅実経営と地域密着の理念のもと、
お客さま、地域のために。

昭和26年の相銀転換から平成元年の普銀転換まで、およそ37年間。それはお客さまのために、あるいは地域のために、私たちは何をなすべきか、何ができるかを考え続けた道のりでした。相互銀行への転換は、無尽業界の悲願でした。無尽会社は、中小企業専門の金融機関としての役割が期待され「相互」、つまりお互いを助けあうという無尽の理念を反映した新しい銀行としてスタートしたのです。当行の新行名には無尽時代より受け継ぐ「中央」の名を冠して、「中央相互銀行」となりました。

そして、多様な商品とサービスにより、大手銀行にはカバーできない中小企業金融を一手に引き受け、着々と業容を拡大していきました。こうした業務の拡大、多様なサービス提供の背景には、金融技術の著しい進化がありました。情報技術と通信技術の進化、つまりコンピュータとネットワークの進化を背景として、機械化、オンライン化が急速に進展しました。

わが国の経済力の増強は、中小企業においても国際社会への積極的な参加を促しました。一方で、経済・金融のグローバル化の進展は、金融業界における垣根を越えた激しい競争をもたらしていきました。まさに戦後の日本の発展史は、そのまま金融の発展史に重なっています。そして、当行も1兆円の資金量を達成し、「堅実経営」と「地域密着」の理念をそのままに、普通銀行への扉を開きました。

「中央無尽」の時代より慣れ親しんだ「中央」の名に別れを告げ、創業以来当行の生まれ、育まれたこの地、「愛知」の名を新たに冠して。

伊勢湾台風と中央相互銀行

伊勢湾台風、ボートでお客さまの見舞いに出る行員

昭和34年9月26日、中部圏を直撃した「伊勢湾台風」。行員たちは結束を固め、この難局を乗り越えました。最も大きな被害を受けたのは津島支店。得意先の災害見舞いや営業活動には本店から届けられたボートが大活躍。後にこの様子は「水上銀行」と例えられました。このような被害でもめげることなく、津島支店はついに一日も営業を休むことはありませんでした。

03

愛知銀行の時代

次の100年へ。
地域と顧客と
先輩諸氏から受け継いだ、
かけがえのない財産を携えて。

平成元年、「愛知銀行」として普通銀行の道を歩み始めてから、100周年を迎える平成22年9月まで、およそ22年間。バブルの崩壊とともに、幕を開けた「平成」という時代。それはまた長期にわたる景気低迷の始まりでもあり、金融ビックバンに象徴される、これまでとはまったく異なる金融新時代のスタートでもありました。
こうした激変の時代にあって、「堅実経営に徹し、業績の発展をとおして地域社会の反映に寄与する」という創業以来一貫して堅持してきた経営理念は、当行にとって、次の100年に向けた道標として、今なお、その輝きを増しています。

これからの100年の歴史を歩む上で、当行を支えてくれた地域とお客さま、そして多くの先輩諸氏と共に歩んだ100年が、何にも代え難い当行の財産となっていることに、深く感謝しています。

これまでも、そして、これからも地域とともに。
100周年アニバーサリーフェスタ。

平成22年11月13日、日本ガイシホールにおいて、創業100周年記念イベント「愛知銀行100周年アニバーサリーフェスタ」が開催され、愛知銀行グループ役職員及びその家族、1533名が参加しました。本イベントは、家族を含めた全役職員の絆を深めるとともに、次なる100年に向け、新たな決意と希望を抱かせるものとなりました。